魔法つかいプリキュア! #48「終わりなき混沌!デウスマストの世界!!」一つとして同じものはない生命の輝きと力強さ。
手を取り合える相手がいるから人は希望を抱きどこまでも強くなれる。



皆の明日を取り戻すための大きな決断!物語もいよいよ最終局面!魔法と科学が公然と存在し混じり合っている世界と、そこで仲睦まじく交流し笑顔を浮かべている両世界の住人。みらい達にとってはある種の理想とも言える世界を目の当たりにし、直にその空気に触れ、その上で恒久的な別れの可能性を示唆されてなお決断を下すからこそ、立ち向かうみらい達の言葉には、決意と重み、説得力が自然と伴います。
この世界を体験して「本当はちょっぴり嬉しかった」と言ったみらいの言葉は、彼女の偽らざる本音だろう。皆が笑顔になれるワクワクもんで溢れる世界。ずっと一緒にいられる日々。それはみらいがずっと切望していたものでもある。でも今のこの世界は所詮仮初めのものに過ぎず、自らの意思で選び取ったものでもないのですよね。滅びを待つ明日のない世界。一時の泡沫の夢。それがこの仮初めの世界の実態です。
出会いがあるから別れもある。別れがあるから一緒に居ることが出来る今の時間を大切に思えるし、再び巡り会えたときの喜びも生じるのです。夕日が落ちてお別れしても、朝日が登り明日を迎えればまた会える。明日に希望を信じているから、今この瞬間の夕日を綺麗だと感じることが出来る。今よりもっと楽しくてワクワク出来ることがあると信じているから、お別れの寂しさにも耐えられる。
全てが混沌に飲み込まれ一つになれば寂しさも喜びもなくなる。自分とは違う他の生命と触れ合う楽しさもなくなる。停滞し明日のなくなった世界には何もない。明日があるからみらいとリコ、はーちゃんは出会うことが出来た。ドクロクシー戦で一度分かれても再び巡り会うことが出来た。ラパーパ様とは違う生命だから、はーちゃんは二人の娘として今を一緒に生きることが出来たのだ。
自分とは違う生命。その大事な人たちとの出会いが喜びやワクワクを生み、手を取り合い繋がることで希望が生まれ、その希望がまだ見ぬ明日へと向かう活力となる。出会いと繋がりが生み出す力。これが魔法つかいプリキュアの力の根源であり、また彼女たちが戦うための理由でもあると思います。彼女たちが守りたいものは、全ての生きとし生けるものが持つ出会いと繋がり。そう思わせてくれる。
そして、それはプリキュアに限った話ではないのですよね。自分の目に映る人々。自分の横にいる家族や友人。例え世界規模の話ではなく個々人のレベルであっても、大切な人たちとの出会いや繋がりを守りたい。大切にしたい思いが力になるということは、これまでの話の中でも示されてきたこと。手を取り合う朝日奈家の面々、補修メイトとかなとまゆみ。町の人々。
彼女らの姿こそ生命の尊さと力強さの象徴ではないかと自分の目には映った。フェリーチェの言うように大切な誰かを思う優しさや愛情が力をくれる。それが希望を生み出す力になる。そこにプリキュアと一般人の垣根はない。託し託される関係性。まほプリの世界観が今回の話の中にギュッと凝縮されていたのではないかと感じました。
校長先生の話を聞き今は考えないようにしようと毅然と立ち向かったみらい、リコ、はーちゃん。でも少なからずもう覚悟は決めているとも思えます。それでも彼女らは自らの意志で、明日を迎える為に前に進むことを決めた。そんな彼女たちが選んだ明日に待っているものは何なのか。願わくばそれが幸せで楽しい未来であることを願って。どんな形になるとしても最後まで見届けられたらと今は思うばかり。

この状況を打破することで生じると予想された魔法界とナシマホウ界の乖離。それはみらいにとって、リコとはーちゃんとのお別れだけに留まらず、今のモフルンとお別れする可能性をも内包しているのですよね。魔法もリンクルストーンの力も存在しない。それが本来のナシマホウ界の在るべき正しい姿でもある。
でも、魔法が思いの力であるとするのなら。それは人が生きている限り消えることのないものでもあります。大切な人から託された思いを胸に抱いて進むこともまた、一種の魔法と言えるのでは…なんて言ったらもう悲しいことしか思い浮かばないんだけど、予告とかエンドカード見たらそうとしか思えないんだもの!
自分だって皆が一緒に居て笑い合えるハッピーエンドが見たいのです。みらいとモフルンに関しては、もう劇場版の時にも十分泣いたし最後は笑って終わろう!そうしよう!
にほんブログ村
- 関連記事
-