天体のメソッド #07「私のなくしたもの」変わってしまうものもあれば変わらないものもある。
しかし選択の余地すら与えられない者には…。




母親のお墓参りを通して己の過去と向き合う乃々香の姿が描かれた第7話。これまで乃々香が過去を「忘れた」という結果の方ばかりが強調され、何故忘れたのか、どうしてそうなったのかという過程の方に関してはあまり触れられてこなかった。今回はその部分に焦点が当たっていたと思うが、忘れることで自分の心を守った乃々香が、過去と向き合う中で、その心情を打ち明けるという構成は良かった。
その思い出が楽しいものである程、失ってしまった時の喪失感も大きなものになる。同時に二度と手にすることの出来なくなってしまった楽しい思い出は、辛いものへの転じてしまった。大切なものであった霧弥湖町での諸々の経験や思い出は、全て母親を連想させる要素となり、忘れることで楽になろうとした乃々香の幼心も分かるのです。街から外に出た乃々香にとっては、特にそうすることが効果的であったことも理解出来る。
一方で同じ思い出を共有しながらも、乃々香と逆にその思い出を忘れることなく向き合い続けた汐音の姿は対照的なものであった。街から出て親元を離れ一人暮らしをしながらも霧弥湖町に簡単に行ける距離に居を構える現在の汐音の生活環境。これ自体が汐音の忘れようとしたけど忘れられない複雑な心境を反映しているのかなと今更ながらに気づいたのです。
一人暮らしが許されるのであれば、そして本当に忘れるつもりがあるのならば乃々香のように完全に切り離される場所に行く選択肢もあったのではないか。現実的に目の届かない場所なら親として一人暮らしは認めないとかそういう点はとりあえず置いておくとして…。本気で忘れようと思えば忘れる事だって出来たはず。でもそれをしなかったのは乃々香との思い出が本当に大切なものだったからだと思うのです。だからこそ綺麗サッパリ忘れていた乃々香のことが尚更許せない。
一方は大切な思い出であるが故に苦痛を伴うことで忘れることを選び、一方は大切な思い出故に忘れようとしても忘れられなかった。共通の思い出から端を発しているのに辿った道は真逆。これが今の二人のすれ違いを生み出してしまっていた。でも二人の根幹にある大切な思い出は今なお共有されているのですよね。
汐音の「一緒に流星群を見たかった」は、乃々香が思い出し過去と向き合おうとしていることを悟った、かつての友達からのメッセージでもある。辛かったかもしれないけど忘れないでいて欲しかった。友達のままでいて欲しかったという意味合いが込められているようにも聞こえた。グッと来てしまいます。
シリアス風味な乃々香と汐音の様子を描くのと同時に、コミカルな要素満載だったノエルと颯太の看板の修復も印象的でした。作った当時の思いをいまもなお持ち続けているのなら、楽しかった過去の修復が可能であることを示唆していたようにも映る。看板の修復が、ひいては乃々香と汐音の関係の修復を意識させるようになっていたのは興味深いなと思ったところ。
またノエルの置かれている現在の境遇が、乃々香と汐音とは別の意味で対照的であり重かったですね。自分の意思を介在させる余地のある二人に対して、ノエルは自分の意思で選ぶことすら出来ない立ち位置にいる。今後街を出ていくことが確定している颯太とのやり取りでノエルが街から出られないことを示唆されたのが何より印象的。
他のみんなはどんどん変わっていくのにノエルは「変わる」ことも「忘れる」ことも許されない。その選択の余地が最初から与えられていない。明るいキャラクター性とは裏腹に、その背負ってる業は誰よりも深く重いものがあると思わされたわけです。
街から出て自分の意思で全てを忘れることを選んだ乃々香、街からは出たものの自分の意思で思い出と向き合い続けることを選んだ汐音。そして街から出ることすら叶わず忘れることをも許されないノエル。三者三様の姿が垣間見えた回でもあったように思います。
何より付かず離れずの乃々香と汐音の二人を見てると切なくなって仕方ない。早く仲が良かった頃の二人に戻ってくれー!長々と書いたけど究極的に言いたかったことはこれだけ。誰よりも丁寧に心情が描かれ積み上げられているだけに、乃々香と汐音の和解回は堪らんものになるだろうなぁ。その予感しかしない。
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